こんにちは、まなとです。
本日は、
『陽キャじゃない俺なんて誰が認めんだって思ってたけど認めてくれる人もいるっぽい』
って話です。
僕は、社会不安障害を克服するにあたり、これってけっこう大切なんじゃないかな?って思っていることがあります。
それが、
「認められること」
です。
社会不安障害に悩む人って、けっこう自分で自分を否定しがちなんで、それでどんどん苦しい状況を作りがちなんですよね。
僕自身、当時は、
「自分以上に自分が嫌いなやつはいない」
ってくらい自分のこと追い込んでましたから、それはもう救いようのない気持ちになっていました。
もう俺は俺に生まれた時点で終わりだったんだみたいな。
で最終的には自分嫌いすぎて、自分不信になり、自分が考えること自分で全否定するようになってましたからね。
あの時はもう生きてるって実感があんまりなかったです。
本当に文字通り息吸って吐いて動いてるだけって感じの、廃人でしたね。
今でこそそんな時もあったな~くらいに思い出せるんですけど、その時は本気で頭がバグってました。
で、そのバグはちゃんと治ったんですけど、それを治せた理由ってのが、認められたからだと思うんですよね。
誰にも認められない自分が嫌になっていた
僕は子どもの頃から、何かで認められるという経験をしたことがありませんでした。
運動神経が悪くてスポーツもできなかったし、勉強ができたわけでもない。
これといって際立った特技もない。
誰かから、
「スゴイね!」
なんて言ってもらうことがなかったんです。
それで、学生の頃から、自分に自信を持てるような根拠がなくて苦悩しました。
「俺って、何者なんだろう。」
思春期特有の考えと言ってしまえばそれまでですが、ずっとそんなことを考えていました。
自己肯定感なんて、持てたことがありませんでした。
認められるのは警察官という職業のみだった
社会に出て警察官になってからも、自己肯定感がないのは何も変わりませんでした。
社会不安障害の症状もあって、仕事では怒られてばかり。
何も役に立てたことなんてなかったと思います。
ただそんな警察官でも、周りから見れば普通の一警察官です。
知り合う人に警察官と言えば、公務員だからスゴいというリアクションばかり取られ、家族や親戚からも警察官であるお前はスゴいよといったことばかり言われるだけ。
誰も僕の警察官としての本来の姿を知らないのに、僕を褒めるんです。
何がスゴいことがあるでしょうか。
僕は仕事で自分がいかにダメダメか自覚していた分、他人からのリアクションにはうしろめたさがありました。
だからこそ、社会不安障害をいち早く治して、自分でも胸を張って自分が警察官ですって言えるようになりたかったんですが、
結局空回りばかりで、症状は悪化していきました。
誰からも認められない状況で、自分すら自分という存在を認められなくなり、自分は何者なんだという学生時代からの疑問を引きずったまま警察官をやめるにいたりました。
このときの僕は、社会不安障害を治そうと必死になる余り余計に多くのものを失うことになったことから、自己嫌悪をさらに強め、自分を全否定するようになっていました。
自分を好きになれるはずなんてありませんでした。
自分の存在が認められた!という喜びを初めて知った
僕は警察官をやめてから、ムリに社会不安障害と戦おうとするのをやめて、
「もういい、これが俺だ」
ってなかばあきらめるような形で自分を認めてみることにしました。
そしたら不思議と、ちょっと心が軽くなったのがわかりました。
おそらく、毎日のように自己否定をしていた状況が変わったからでしょう。
でも、それだけでは自分に自信が持てるようになるわけでもないですし、大きくは変わりません。
虚無感だけが残った感じです。
ただ、大きな変化はその後起きました。
まず、社会不安障害との正しい向き合い方を知れたというのもあるんですけど、それとは別に当時していたアルバイトで、自分を認めてくれる人に出会えたんです。
僕は警察官として3年間は働いていましたから、アルバイトをすると他のバイトの人よりも全然動けたんですよね。
で、僕自身仕事はけっこう真面目にやる方なので、毎日言われたことに従って、人も少ない中、淡々とこなしていました。
そしたら、数日後には、
「よく動くねぇ、助かる」
とか言ってもらえるようになってました。
これって別に大したことじゃないかもしれないんですけど、警察官時代ほとんどほめられたことがない僕にとってスゴく新鮮な感覚だったんですよね。
「あ、ありがとうございます!(あれ、なんか俺ここでは必要な存在になれてるのか…?)」
っていう感じで、今まで感じたことがない感覚でした。
それで、ただ淡々としていた仕事にもどんどん前のめりで取り組めるようになりました。
やっぱり、今まで自分の存在が必要なのか必要じゃないのかもわからないところでずっと過ごしてきましたから、自分がその場所で必要な存在になれるイメージがなかったんです。
ただ、そうやって自分の姿勢が好感を持たれて、どんどん信頼を得られるようになっていく過程で、僕は自分という存在がやっと認められたような気がして、すごく嬉しくなりました。
やっと誰かからもらえた好評価。
これが僕の中に新しく加わり、自信になっていきました。
何か一つでもしっかり取り組めば、認めてくれる人が現れる
その後、自分のできることをしっかりこなし、評価を得て、信頼を得て、それが自分の中で自信になって。
そしてどんどん変わっていくことができました。
それから今の生活に至るわけです。
で、最近も、やっぱり認められることって心を軽くしてくれるなぁって思ったことがありました。
僕は今ニュージーランドに住んでいて、この前までリンゴの箱詰め工場で働いていたんですけど、このリンゴの箱詰めって意外とただただ手を動かすだけの単純作業ではなくて、周りの様子を見ながら動く必要があったりするんですよ。
どっちかというと飲食店の厨房で働く感覚に近いと思います。
海外の職場ってけっこう自由なので、みんなわりかし話しながらだとか、流れてくる音楽に合わせて踊ったりだとか、そういう人がけっこういるんですけど、僕はそこまでハッチャけたキャラではないので、たまに話すくらいで基本的にはモクモク働いていました。
でも、やっぱりあまり仕事に集中してないような陽キャの方が、なんか人つき合いうまくやれてるように見えてしまうというか、
真面目にやってる自分がバカみたいに思えてくる感覚になるというか、そんな感じがしたんです。
なので、
「やっぱり真面目にやるよりああやってハッチャけてた方がうまくやってけるんだろうか…」
とか思ったりしたんですけど、ただそこにも自分を認めてくれる人というのはしっかりいたんですね。
「仕事が早いから助かる!」
とか
「いつも手伝ってくれてありがとう!」
とか、言ってきてくれる人がいてくれて、僕は、
「あ、やっぱり俺はこのままでいいんだ!」
と思えました。
その頃は中の荷物ごと車盗まれたり、その直後コロナウイルスの影響でロックダウンかかったりと、あんまりいいことなくてテンション低かったんですけど、けっこうそうやって自分を認めてくれる人の存在が支えになりましたね。
なので、自分を認めてくれる人、自分が認められる環境っていうのは必要なんじゃないかなと思います。
自分を認めてくれる人がいるからこそ、辛い状況を乗り越えやすくなりますし、
自分が認められる環境にいられるからこそ、ストレスを感じずに生きられます。
なので、もちろんムリしてる必要はないんですけど、例えば習い事とかを始めるなどして、自分を認めてくれる人、自分が認められる環境というのを探してみるのもいいと思います。
そして、大事なのはまず自分を認めること。
あとは何か一つでもがんばれることに取り組むこと。
不器用なりにでも、態度で示し続ければ、認めてくれる人はいますから。
なので、くさらずに、やることはしっかりやってみてください。
認めてくれる人はきっといます。
認めてくれない社会かもしれないけど、くさらずに生きたい
それでは今回は、認められるということについて、自分の体験を交えてお話ししました。
僕自身の経験からもそうですが、今までいろんな人と出会ってきて、認められないことで苦しんでいる人ってけっこう多いんじゃないかと思います。
特に、メンタルの病気を持っている人だと、周りの人から理解されなくて、苦しい思いをしてきたはずです。
日本は同調を求める社会ですから、海外以上にその苦しみは大きいんじゃないかと思いますね。
ただ、社会から変えようなんて話が大きくなりすぎるので、まずは身近にいる自分を認めてくれる人、自分を認めてくれる環境を探してみるのもいいと思います。
そして、大切なのは自分の中で何か一つでもがんばってみること。
大きなことじゃくても、自分ができそうなことをやり続けてみる。
これが人の目にとまれば、全員じゃなくてもその中に認めてくれる人というのが現れるはずです。
何もやらなければ何も変わりません。
くさってしまえばそこで終わりです。
なので、何か一つでも、手を抜かずにやり続けてみてください。
認めてくれる人は必ずいるはずです。
ということで最後、簡単にまとめますね。
- 自分を否定し続けることを一旦あきらめ、今の自分を認めれば少し楽になる
- 例え元気がなくても、一つのことにしっかり取り組めば認めてくれる人は現れる
- 誰かが認めてくれれば、それが自信になり活力になる
こんな感じです。
それではこの辺で
コメント