こんにちは、まなとです。
今回は僕が知り合った
『めちゅくちゃ陽気な元うつ病のおじさんの話』
をしたいと思います。
いきなりおじさんの話なんてなんでって感じかもしれないんですけど、そのおじさんがとにかくハッピーな人だったので、紹介したいんです。
僕がそのおじさんの話をすることで、人生に希望が持てるようになるとは思わないんですけど、
メンタルの病気があった人でも、克服したらこんな感じになるかもよっていう一例として紹介しようと思います。
僕も当時、社会不安障害がよくなってきた頃に出会ってけっこうなインパクトだったので共有です(笑)
今回はその時のことを思い出して書いてみますので、小話として淡々と書きますね。
ある日の図書館での出来事
僕は警察官を退職して、一時期地元に戻ってアルバイトをしていました。
アルバイトは昼からで、数か月後には海外留学も計画していたので、午前中は勉強などのため図書館に通っていました。
バイト先では組み立て作業などもすることになっていたので、いつも汚れてもいい服装だったんですが、
ある日、図書館で知らないおじさんが、
「そのズボンかっこいいね!いいズボン履いてるね!」
と僕を呼び止めてきました。
僕のズボン、高校時代に履いていた、汚めの7分丈の作業用パンツ…
(そんなにかっこいい代物ではないのだが…)
と、思いながらとりあえず、
「ありがとうございます。」
と返すと、
「ちょっと座って話そう!」
と言われたので、とりあえずそれに応じることにしました。
ただ、このおじさん、
- 薄毛の金髪
- サングラス
- ピンクの花柄アロハシャツ
- 金歯
「・・・。」
明らかにただ者ではないいで立ちでした。
呼び止められた瞬間、
(ヤベぇやつに捕まっちまったよ…)
と正直思ったんですが、誘いを断るのも何か悪いと思い断れず、とりあえずつきあってみることにしました。
で、このおじさんが、とにかく陽気でテンションも超ハイ。
僕が元警察官と知ったら、初対面にも関わらず筋肉チェックをしてきたり、
とにかく馴れ馴れしかったです。
(初対面の距離感いきなりブチ越えてくるやん…)
とか思いながら、最上級の愛想笑いでごまかしつつ対応しました。
で、よくよく話を聞いてみると、このおじさん僕と母校が同じだったんですね。
それで不覚にも親近感を覚えてしまいました。
そしてこのおじさん、家庭環境もけっこうややこしかったようで、10人くらいの兄弟の末っ子として育ち、厳しい家庭で、兄弟のストレスのしわ寄せが一番下の自分に来てとても辛い幼少期を過ごしたそうです。
僕も家庭はちょっとややこしかったので、そこもまた共感できてしまいましたね。
辛い幼少期を送ったおじさんは、大学に行っても結局パッとせず、社会人になって県外に行ったりするもうつ病になってしまい、
それにかなり悩まされたそうでした。
ここら辺も僕と似てました。
見た目が見た目なので
(そんなはずは……)
とは思いましたが、事実のようでした。
おじさんもおじさんなりに、けっこう辛い人生を送ってきたそうで、
幼少期から他人にさげすまれるような、そんな辛い人生だったみたいです。
ただそんなおじさんにも転機が訪れたらしく、それはおじさん30歳の頃。
それまでは日本で英会話教師として勤めてたようですが、当時バブルでお金があったことから一念発起して渡米したそうです。
そしてアメリカでの生活のことは詳しく聞かなかったんですけど、渡米した結果、価値観が変わり人生も変わったらしく、
とても楽しく過ごせたと言っていました。
僕がおじさんと遭遇したのは、アメリカで日本語教師として30年間勤め、定年を迎え帰国してきたばかりの時だったようです。
ちなみに帰国後図書館に通っている理由は、アメリカ生活で日常的に使わなくなっていた日本語の勉強のため、趣味としている短歌の教室のため来ているということでした。
それを聞いて僕は、
(なるほど、どうりでカリフォルニアの風を感じさせてくれるようななりをしているのか…。)
とか思いながら、変に共感できてしまったので、僕は自分が社会不安障害であったこと、それが原因で警察官をやめたことを話しました。
するとおじさんもすごく共感してくれて、
- 仕事なんて辞めればいい!
- アメリカ人なんて20代のうちに10回は転職する!(ホントか?)
- 自信もって!
- 泥に埋もれた蓮の葉も、いつかは大きくて綺麗な花を咲かすんだから!
- 僕達は誰でもNo1! なぜなら生まれる前に僕達は~~~(省略)
- とにかく留学、がんばって!
と必要以上に励ましてくれました。
その勢いにめちゃくちゃ押されはしましたが、話してて良い人だというのはわかりましたね。
そして、最後におじさんが作った短歌集を出して見せてくれました。
見てみると、トリッキーな内容の短歌ばかりでした。
なんかもう、短歌の常識をくつがえすというか、想像のななめ上をいくハイセンスというか、、、。
とにかくオリジナリティーがとめどなく溢れる短歌集でした。
一番の自信作として見せてくれたものだけしっかり覚えているんですが、
屋上の 露店の風呂で 先輩と
ボクシング忘れ ネッシーになる
というものでした。
「・・・・・。」
さっぱり意味はわかりませんでした。
短歌に込めた意味も詳細に説明してくれましたが、やっぱり僕には分かりませんでした。
そんなこんなで、最後に、デジカメを取り出して記念写真を撮ろうと言うので、それに応じて、お別れをしました。
(あの短歌の意味が分かる日は来るのだろうか。。。)
そう思いながら、図書館の奥に消えていくおじさんの背を見送りました。
ありがとう、おじさん。
はい、という感じです。
いやー、中々のインパクトでしたね、当時は。
まさかそんな出会いがあるとは思ってなかったし、そんな人に片田舎の図書館で呼び止められるとは思ってなかったし。
とにかくすごい印象的な出会いでした。
ただ、僕も当時は、メンタル的な病気に苦しんだ直後で、かつこれから海外に行こうとしているとこだったので、何かある意味運命的な出会いだったのかもしれません。(笑)
とにかく、見た目以外は僕とけっこう共通点があったので、いつの間にか真剣に話を聞いてしまっていましたね。
で、このおじさんを見て、メンタル的な病気を持ってても、こうやって明るい人生を送ることはできるんだって素直に思いましたし、そういった意味では勇気づけられました。
たぶんあのおじさんは、メンタル的な病気を克服した人の最終形態なんじゃないかなと思います。
元々ポジティブな人より絶対ハイ。
アメリカがそうさせたのかもしれませんが。
幼少期からさえない日々を送り、30になるまでうつ病に苦しんでも、その後はハッピーライフを手にできたわけですから、やっぱり人生捨てたもんじゃないんだろうな、って、そういう風に思わせてくれるような、そんな人でした。
なので、今同じようにメンタル的な病気に苦しんでいる人も、まだあきらめてほしくないなって素直に思います。
僕自身、当時は絶対治らない、一生苦しむ報われない人生なんだと思いましたけど、今そんなことないんで。
今はあのおじさんほどじゃないにしても、そこそこのハッピーライフを送れてると思っています。
ただ、やっぱりおじさんしかり、自分で人生を変える意志を持ってたからこそ願いがなかったわけですから、諦めてしまうと何も変わらないということです。
やってもやっても報われない時はあっても、やり続けない限り報われない。
苦しいですけど、その時間は人生を変えるのに必要な時間のはずです。
ただ、どこかで諦めてしまえば、報われることなんて一生ない。
そもそも報われるような行動ををしていないから。
だから、やらずにすっぱい人生を送るくらいなら、やったもん勝ちだなって思うんですよね。
だからこそ、まだあきらめてほしくないですし、あきらめるにはまだ早いって、思っていてほしいです。
まだ負け人生って、決まったわけじゃないはずですから。
ということで今回は、おじさんの話と合わせて、最後に僕のちょっとした気持ちもお伝えしました。
とにかく、辛い日々があっても、いくらボロボロになっても、諦めずに生き続けましょう。
それでは
コメント