まなとのプロフィール

こんにちは、まなとです。

最初に、僕の自己紹介をしようと思います。

まず現在の僕の状況を簡単に説明すると、社会不安障害になったため2017年に警察官を退職、そこから自分を変えたいと思い、社会不安障害の克服に専念。

その後克服に成功して、今ではブログなどを生計の足しにしながらニュージーランドでのびのびと自由な生活をしています。

↓ざっくり僕の最近の経歴を年表にするとこんな感じです。

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2014年 警察官になる

2015年 社会不安障害と診断される

2017年 治療に専念するため警察官を退職
    →3ヶ月後、社会不安障害を克服
    →フィリピン、セブ島へ留学

2018年 帰国、東京に住む

2019年 ニュージーランドへ渡る

2020年 現在、当ブログを開設

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今でこそ僕は、わりと自分のやりたいことができる生活をしていますが、警察官を退職するまでの僕の人生は地獄でした。

なぜなら僕は長い間、極度のあがり症、社会不安障害のせいで人の視線に恐怖を感じながら生きてきたからです。

例えば、

・人前に出るのが怖かったり
・人の目がやたら気になってしまったり
・人に説明する場面で声が思うように出なかったり
・電話に出るのが怖かったり、出ても声が小声になってしまったり
・上司と話すとき頭が真っ白になってとんちんかんなこと言ってしまったり

こういった症状に約20年間、ずっと悩まされ続けたんです。

このように、社会不安障害に苦しんだ経験があり、かつ克服できた経験もあるので、この経験を広く共有することで同じ悩みを持つ人の助けに少しでもなればと、この度思いきってブログを始めてみました。

このブログで僕が、読んでくれている人に伝わったらいいなぁと思うことは、

・今同じ症状、障害に苦しんでいる人
・あがり症がひどくてなんとなく生き辛さを感じている人

そんな人でも自分が抱える問題との向き合い方を少し変えれば、今と違った自分になれる可能性は大いにあるということです。

僕はそれで実際良くなりましたからね。

それを少しでも伝えることができたなら、僕としては嬉しいかなと思います。

とりあえず前置きはこれくらいにして。

今回は、僕がどんな人間で、どんな人生を歩んだのか。

そして僕が社会不安障害を自覚したきっかけから、克服に至るまでの経緯を書いていこうと思います。

contents

僕の夢だった『警察官』

僕は子どもの頃からとにかく人目につくのがきらいで、大人しい性格でした。

いつもなるべく目立たないようにして、誰かの陰でひっそりとしている、そんな子でした。

みんなの前で発言するなんてもってのほかで、自分から手をあげて発表した回数なんて小学校から高校までで5回もないかもしれません。

体育の授業なんかでも緊張しすぎて動けなくなるし、僕自身自分が、

「極度のあがり症」

なんだということは、物心ついた頃からよくわかっていました。

だからこそ高校を卒業するまで、目立たないように、注目されないように、ずっと大人しくしてきたんです。

そんな僕も中学生の頃には、親のすすめもあって、警察官という夢を持ち始めます。

父親がある日、

「お前、警察官になれ。」

と言ったときのことは、昨日のことのように思い出せます。

(警察官かぁ・・・、カッコいいなぁ・・・。)

当時の僕にとって、人の安全を守る警察官というのは、正義のヒーローのように思えたのかもしれません。

ある意味、当時の大人しかった僕とは正反対の存在。

そんな存在になりたいと思ったのか、それ以来憧れるようになっていました。

そして僕は、警察官になるために公務員試験の勉強に励み、高校卒業と同時に警察官になることができました。

あのときはめちゃくちゃ嬉しかったです。

夢が叶ったんですから。

((やった、警察官になるんだ!!))

そう何度も心の中で連呼して、飛び出るくらい僕の心は踊っていました。

警察官になってから、僕が経験することなんて想像できるはずもなく、新しい生活の幕開けに希望を抱いて。。。

夢だった警察官になった! けど、あれ・・・?

警察官として採用された人は、まず警察学校に入学します。

大卒で 6ヶ月、高卒で10ヶ月。

この期間を経て、晴れて一人前の警察官になれるわけです。

入学当初、僕は期待に胸をふくらませて警察学校の門をくぐりました。

警察学校が厳しいのはけっこう有名な話です。

もちろん不安もありましたが、学生の頃から警察官を夢見ていた僕は、不安よりも期待の方が全然大きかったんです。

一度門をくぐってしまえばもう一人の警察官として見られます。

初日から有無を言わさず、教官の怒号が飛び交いました。

(話には聞いていたけど、すげぇ迫力だ・・・。)

そんなことを内心思いながら、心はまだわくわくしていました。

そして警察学校に入って一週間後、入学式が行われました。

春先のニュースで見たことあるんじゃないかと思います。

「この春、晴れて〇〇人の新人警察官が~…」

って、ニュースでやってますよね。

あれ実はちゃんと練習した上でやっているんです。教官に怒鳴り散らされながら。

練習中にステージのど真ん中につまみ出されてそのまま練習が進んだりとか、もう緊張感がすごいです。

入学から入学式までの一週間、この時点でやめる人もけっこういましたね。

ただそんな環境でも夢の力はスゴいです。恐怖心すらやわらげてくれるんですから。

周りのみんなは初めからけっこうストレス感じてましたけど、僕は比較的ストレスは感じていませんでした。

(話には聞いてたし、こんなもんだろ。)

そう思えたからです。

そんな感じで、警察学校生活も序盤はわりとゆうゆうと過ごしていたんですが、3ヶ月が経過した頃、自分の中にある違和感を感じだしました。

その違和感を感じる引き金があって、例えば、

・友達とは普通に話せるのに、教官とか年上の人と話すとき頭が真っ白になってしまう。
・部屋に設置されている電話が怖くて、出てもうまく話せない。
・人前で怒られると、怒られてること以上に周りからの目線が気になる。
・教場で発言を求められると、声がふるえる。

こういった症状が出ることで、僕は自分が他人とは何かが違うのではないか?

と思い始めました。

(なんか、、、おかしい、、、明らかに人と違うよな、、、。)

(学生の頃から感じることはあったけど、、なんだこれ、、、。)

実際これらの症状は、警察学校に入学する以前から感じる時は確かにありました。

ただそれが、以前より明らさまに出て、ごまかしがきかなくなってしまったんですね。

これは学生のころと違って、隠れみのがなくなり、人前に立つことや、発言を求められることが増えたこと。

さらに自分のやることに責任がついて回るようになったことが原因なんじゃないかと思います。

そんなことを思い始めた矢先、ある事件が起こりました。

大きなトラウマとなった悪夢の柔道事件

それはある日の柔道の授業でのこと。

僕は高校の頃は警察官になることを見越して柔道部に入っていたので、昔から柔道をやってきた人よりは実力で劣るものの、少なくとも他の初心者より技は知っていました。

柔道の授業中、僕は組んでいた相手を得意の変形の背負い投げで投げました。

その際投げの形が少し崩れてしまったと自分でも思いましたが、相手にケガはありません。

しかしそこに先生が詰め寄ってきて、

「お前殺す気か!!」

と大勢の人の前で僕を怒鳴ったんです。

(え・・・?)

僕は頭が真っ白になりました。

ザワザワ・・・

周りの視線が一気に僕に集まります。

先生が僕を続けざまにしかります。

(え、え、なんだこの状況・・・。)

顔は引きつり、すみませんを繰り返す僕の頭はパニックで、それでいて周りのザワついた状況だけはなぜかしっかり伝わってきます。

(早く、早く終わってくれよ・・・!)

口からはたどたどしい言葉しか出ないのに、頭の中ではしっかりとそんな言葉が繰り返されていました。

その後、先生にしっかり目をつけられてしまったため、僕のやることなすことに先生が怒号を飛ばします。

中途半端に技を身に着けた僕の動きというのは、「認められないもの」だったんです。

柔道はこうでなければいけないという形がしっかりあるものですからね。

僕の柔道は間違った柔道で、否定されてしかるべきものだったということです。

だからこそ先生は、怒らなければいけない。そして僕は怒られなければならなかった。

ただ、怒られること以上に、怒られることにより周りから注目されて、視線を集めている状況が怖くて仕方がなくなりました。

その日以降、僕は柔道の授業で毎回のように怒られ、周りの柔道経験者からは馬鹿にされました。

「黒帯なのに下手なやつ」

そんなレッテルを貼られた僕は、悪い意味での注目を集めてしまうようになりました。

昔っから柔道をやってきた他の黒帯にはかなうはずはなく、初心者が相手の時でも、

(負けたらどうしよう。。。また変な目で見られる。。。)

という過剰な緊張が出てきてしまい勝てなかったり。

そして黒帯であるのに、勝ち数のノルマを達成できなかったペナルティとして、黒帯の僕が一人白帯の人達の中で腕立てをするのはとても恥ずかしく、赤面と変な汗が出るのが止まりませんでした。

ノルマを達成して先に抜けていた他の人達からの視線は突き刺さってくるように感じられました。

今でも思い出したくありません。

さらに同じころ、警察学校生はそれぞれ係のような役割が与えられるのですが、よりによって僕が与えられたのは学校にかかってくる電話を取る電話番でした。

自信もすっかりなくしてしまい、元から電話に苦手意識のあった僕は、うまく対応できるはずがありません。

声がうまく発せず、何度もどもり、電話の操作を間違え、まともに話すことすらできず

教官にお前警察やめろ、向いてないと追い詰められ、僕のメンタルはズタボロになっていきました。

柔道事件と、電話番での大失態の連続。

この二つが警察学校在校中に僕の自信や前向きだった気持ちを全てうばい、そんな状態のまま僕は現場に出ることになりました。

僕は、社会不安障害だった。

現場に出て、半年が経ちました。

警察学校で既にメンタルがズタボロになっていた僕は、卒業後のこの半年間、事件や事故現場で味わう極度の緊張状態の中、失敗を繰り返し、毎日のように怒鳴られながらも、なんとか勤務地へ通い仕事を続けていました。

結果として僕がやめるのはそれから2年もあとのことになりますが、今思えばそれだけ続けられたのはけっこう奇跡的なことだと思います。

ただ、現場を半年経験した頃には、一向に好転しない症状にとうとう僕は我慢できなくなってきていました。

自分の中に感じ続けていた違和感の正体を明らかにしてやろうと思い、意を決して精神科に行きました。

僕は先生にこう伝えます。

「人の目がとにかく気になってしまうんです・・・。

 職場では上司ともまともに話せません・・・。

 電話が怖くて出れもしませんし、出ても声がうまく出せないんです・・・。

 ただあがり症なだけでここまでなりますか・・・?」

すると先生がこう答えます。

「それは社会不安障害という病気です。」

僕は思いました。

(やっぱりか。)

と。

それが素直な感想でした。

何もないことはないだろうとそりゃ思ってましたからね。

僕は薬をもらって帰り、とりあえず薬を服用しながら職場に通い続けました。

ただその頃には、警察官を退職するという選択肢が、頭の中によぎるようになっていました。

新たな目標

社会不安障害という病気だった僕は、もう警察官は続けられない、続けてても迷惑だろうと思い始めました。

そして、当時の直属の上司に正直に報告することにしました。

ある日の同じ係での飲み会のあと、話があるということで、上司が僕をカフェに連れて行きました。

どうやら僕の日々の様子を気にかけてくれていたみたいです。

僕はこれはチャンスだと思いました。

上司との会話の中で、切り出すタイミングを見計らい僕はこう告げました。

「実は・・・、僕は社会不安障害という病気なんです。。。」

僕に覚悟は決まっていました。

警察官にふさわしくない人間を見つけ次第やめるようにうながすのが警察の世界です。

自分が精神的な病気だと伝えれば、やめさせられるに決まっている。

そう思っていました。

しかし、返ってきた回答はあまりにも意外なものでした。

「そうか、それだったら俺だってなんかの病気だろうし、それに~・・・」

僕の上司は、あいづち程度に返答し、そのまま変わらない調子で淡々と話を続けたんです。

覚悟を決めて告白した僕の方が唖然としてしまいました。

(この人は、僕がそんな病気を持っていても気にしないし、そんなこと別にどうでもいいんだ…。普通に扱ってくれるんだ…。)

その後何を言っていたのかはほとんど覚えていません。

とにかく、本人は特に何の意図もなかったと思うんですけど、僕はその態度に感動してしまったんです。

確かに僕の当時の上司は、体育会系の警察の世界にいながら、物腰が柔らかく、大人しい印象を受ける人でした。

上司はそういった性格だったことから若手の頃は苦労し、自分で苦手な環境にも慣れるように努めたそうです。

僕はそれを知って、素直にこう思いました。

この人みたいになりたい。

僕の中にできた、新たな目標でした。

僕はその日をきっかけに、警察官を続ける決意をして、社会不安障害をなにがなんでも治してやると決めました。

それから、社会不安障害を治すため、必死になる日々を送ります。

社会不安障害を治すため必死になる日々

その日を境に社会不安障害との決別を決め、とにかく必死になりました。

治せるんだったらなんでもやってみる。

とにかく場数を踏んで慣れるしかない。

自分に自信をつけていかないと。

そう思い、今まで自分がやったことないこと、なんでもやりました。

速読、ダイビング、合コンや街コンへの参加、休みの日は積極的に外へ出ていって服やアクセサリーなどの買い物。

毎日社会不安障害を治すことを考え、毎秒そのために動いていました。

しかし、その結果どうなったかと言えば、何にもならなかったんです。

しかも、今あげたことってお金がかかることばっかり。

他の同期より貯金があった僕は、いつの間にかそれを消費していました。

そのせいで僕はさらに不安にかられるようになりました。

そして、大きな自責の念をおぼえました。

全てが裏目に出て、結果に結びつかない。

失うものばかりで、得られるモノなんて何一つない。

なんなんだ俺は、いったい何なんだお前は。

僕は自分で自分を責め続け、自分の考えること、思うことを全て信じなくなりました。

思考停止、仕事して帰って寝るだけの廃人です。

夢だった警察官のヒーロー像とは、あまりにかけ離れた姿がそこにはありました。

思考しなくなった僕は、人の言うとおりに動くようになり、先輩に勧められた通りにいりもしないカッコいい時計を買ったり、必要不可欠とは言えない道具やモノを友人知人に言われた通りに買うなど、余計な浪費をさらに重ねました。

そして仕舞いには人にだまされ、親がためてくれていたお金にまで手をつけ、気づいた頃には何も残っていませんでした。

「警察官、やめよう。」

そう思ったのは、ある意味自然なことだったのかもしれません。

警察官失格のらく印は、他人に押されるまでもなく、自分で押すことにしました。

そして、夢の力と、上司への憧れに支えられた僕の警察官人生は幕を閉じました。

警察官を辞め、その先に見えたこと

警察の世界しか知らない僕がフリーターに転身しました。

言っても公務員という地位を自分で投げ捨てたんですから、それはそれで不安にかられます。

安定と言えばの公務員しか知らない人間なんで、公務員じゃなくなった瞬間そうなって当然です。

(やべぇ、、、どうなっちまうんだ俺。。。)

そう思ってました。

今でこそ、どうにでもなるさ!と答えてやりたいところなんですけど、当時の僕と言ったら、

非公務員=サバイバルの世界

くらいに本気で思ってましたから(笑)

(元々民間企業に勤めてた先輩から過剰なイメージを植え付けられていたせいでもある)

そんな必要以上の不安にかられながらも、警察官をやめる段階で、これを機に社会不安障害としっかり向き合おうと決めていた僕は、一度冷静になって再び効果的な方法を探し始めました。

アルバイトをしつつ、何もないときは図書館で勉強したりしながら、社会不安障害治すのに何か効果的な方法はないものか、と。

で、わかってきたことが、
ひたすら場数を踏んでも症状はよくならないということと、
そもそも心の問題だから、心理学的アプローチはどのみち必要不可欠ということ

(フムフム、なるほど。)

(ホントその通りだな、場数踏みまくって症状悪化したしな、、、。)

そう思いながら、じゃあ何かいい感じの療法ってあんのか?
と思っていた時に、見つけたのがヒプノセラピーというものでした。

もう全然聞きなれなさすぎて、なんじゃそれって感じでしたけどね。

で、実際調べてみると、
たしかにそんな療法があって、療法士もちゃんといる。

ただ、場所がかなり限られてるし、
安くても一回2万はする。。。
つまり治るまでにめっちゃ金かかる。。。

そういうとこまでわかってきて、

おいおい、それじゃ手が出せないぞ、と思ったんです。
(※この時には正常な感覚に戻ってます。)

やっと効果的な方法を見つけたかと思えば、
通院の時間や費用も合わせれば費用対効果悪すぎるし、どうしたものか。

そんな時見つけたのが、
別に通院するでもなくヒプノセラピーを実践できるプログラムだったんです。

そこまで費用もかからないし、
ずっと使えるものだからコスパも悪くないかと思い、
それを買って実践することにしました。

結果から言うと、この判断がうまくいって、
僕はその3ヶ月後には社会不安障害が気にならなくなっていました。

日々、ヒプノセラピーや、考え方を変える方法を意識して実践し続けたおかげです。

その過程で僕は、思考がどんどん変わり、以前よりも圧倒的に不安やストレスを感じなくなりました。

それと同時に自分の周りでも変化があって。

まず、当時アルバイトをしていた僕は、
警察官として厳しい世界にずっといたこともありただのバイトにしては動けすぎたので、
バイト先で信頼を得て「認められる」という経験をすることになります。

短期間のバイトだったんですが、

「お前がいないと回らない。うちでそのまま働かんか?」

とまで言われるようになったんですね。

僕自身、この頃から自分自身を否定するのをやめ、
一旦ありのままの自分を認めてみることにしていたので、
その結果心がかなり軽くなり、人が変わったようでした。

それが周囲から見た僕のイメージも変えることになり、
人からの見られ方が警察官を辞める以前と比べると全然違うのが実感できました。

(誰かから認められるって、こんな気持ちいいことなのか・・・。)

人から否定され、自分でも否定し始め、
誰一人からも認められることがなかった僕は、
しみじみそう感じました。

僕は、警察官を辞めてからの日々で、
認められる人間になり、自信をつけていき、
一度しっかり向き合おうと決めていた社会不安障害のことはいつの間にか気にならなくなっていました。

そして警察官を辞めて半年後、
新しいことに挑戦しようと思いかねてから決めていた、
セブ島留学に行くことにしました。

初海外、まさかの『天敵』との再会!?

僕にとって初の海外です。

フィリピン、セブ島。

言わずと知れたリゾート地で、
近年では安価な留学先としても人気です。

僕がセブ島留学を選んだ理由はやはり「安い」から。

さらに費用を抑えるため、
数ある語学学校の中でも特に安い学校を選びました。

4時間勉強できるけど、
4時間働くことで安く留学できるっていう仕組みの学校です。

ただ、その仕事というのが、
まさかのコールセンターだったんです!

日本からかかってきた電話を取るので日本語対応なんですけど、
問題はそこじゃなくて。

僕、さっきちょっと書いたように、
電話対応できなさすぎて、
警察官時代めちゃくちゃ怒られてるんですよね。

なので根深いトラウマがありました。

電話というものが怖い、
まさに僕の『天敵』です。

実際仕事が始まると、
トラウマがよみがえります。

電話が鳴る、それを取る、話す。

みんながフツーにやっていること、
だけど、僕はできるのだろうか。

そんな不安がまたよぎりました。

しかし、もうそうは言っていられません。

僕は心を決めて、受話器を取りました。

「〇〇申し込み窓口、××がお受けいたします。」

声が発せました。

そしてマニュアル通りに話を進めます。

案内が終わりました。

「まなとくん、初受注おめでとう!」

リーダーの社員さんがそう言ってくれました。

なんと僕は、苦手だった電話対応で、
お客さんの申し込みを受けることができたのです。

これは僕にとって大きな成功体験でした。

なぜなら以前の僕だったら、
電話で仕事をするどころか、
うまく対応もできず、
声すらまともに出せなかったんですから。

この成功体験により、僕はより積極的になれました。

どんどん電話を取ってさばいていくようになり、
気づけば部署で1、2位の成績を出せるようになっていたんです!

しかも留学期間中、成績上位を毎月キープできたんですね。

毎月表彰され、賞状がたまっていくたびに、
僕は変わっていく自分が実感できました。

苦手を克服し、それを得意にまでできた自分。

人の期待に応え、誰かから認められる自分。

以前ではまったく考えられなかった自分の姿が、そこにはありました。

とにかく、清々しかった。

そう言えます。

自分の知らなかった姿を見つけた僕は、

なんだか今の自分なら、
もっといろんなことに挑戦できるんじゃないかって、
思えるようになっていました。

それで、
もう先のこととか余計に気にしなくなっていて、

自分が今やりたいことをやる!

っていう、
そんな考え方をするようになっていました。

そして、僕はより行動的になっていきます。

大きな自信を得て帰国! それからの僕

帰国後、何も決まっていなかった僕は、
もう一度海外に行くことを決めます。

もう以前のように不安はないし、怖くはありません。

自分がやりたいようにやるまでです。

人の目なんて気になりません。

とりあえずまたの渡航までに、
お金をある程度貯めようと思い、
東京に出てコールセンターの仕事を始めました。

東京に出たのは、まだ住んだことがなかったし、
どうせ海外にでるならどこ住んでも一緒、
なら首都がどんなとこか位知っておくかと思ったからです(笑)

そして埼玉を経由して東京に住むことになり、
人が苦手だった僕がすっかり人と話せるようになっていて、
シェアハウスに住んで、同居人のみんなと楽しく過ごしました。

子どもの頃、人見知りで人の陰に隠れてきた僕からは想像もできない変化です。

良い思い出になりました。

上京後、東京に本社を置くセブ島で勤めていた会社から、
声がかかりまたコールセンターで働くことになりました。

今度は学費の代わりなどではなく、
しっかりお金がもらえる仕事として。

セブ島でしっかり結果を出していた僕は、
他の人よりも高い給料で雇ってもらえました。

もちろん、東京でも同じように結果は出しました!

その後できた貯金でニュージーランドに渡ることにし、
それからはわりかし楽しい生活を送っています。

渡航後二日目には台湾人の友達ができて、
そいつが住んでたシェアハウスに住むことに。

渡航後ちょうど二週間後には人生初のマイカーを買いました。

まさか海外で自分初のマイカーを買うとは思いませんでしたけどねw

そして海外ならではの、
例えばリンゴ、モモ、ナシといった
フルーツを狩るピッキングという仕事だったり

パッキンングというリンゴの箱詰めの仕事だったり、
そういったファームジョブを経験することができました。

ピッキングは暑かったし
あんまり好きじゃなかったですけど、

パッキングは屋内でしかも
けっこう周りの人と話せながらできたので
楽しかったですね。

あとは買った車で友達と観光地に行ったり、
ラジオガンガンにかけてドライブしたり、

めっちゃすがすがしかったです。

いろんな国から人が集まってるので、
イギリス、ドイツ、カナダ、チリ、韓国、台湾、現地の人と
仲良くなって、それはもう濃密な異文化交流を体験できました。

そして今も、いろんな国から来た人たちに囲まれながら、
こうしてリビングでプロフィールを書いています。

まぁ、控えめに言って充実してますねー

それで社会不安障害に悩んでたことなんて
たまに本当に忘れてたりするんですよね。

控え目に言って、
けっこー人生変わったので。

長くなりましたが、こんな感じです。

とにかく僕は今、楽しくやってます!

さいごに

今回このブログに自分の過去を
さらけ出すことに抵抗はありましたが、

同じ悩みを持つ人や
現状がうまく行っていない人に
何か影響を与える事ができたら。

そう思って書きました。

先に書いたように僕は、
あがり症や社会不安障害に悩み続けましたが、

効果的な改善方法を実践し、
考え方を変えられたことで、
今では自分なりに満足のいく生活ができているんです。

本当に人生ってどうなるかわからないし、
どう変わるかなんてわかんないんですよね。

だから、とりあえずはやってみること。

それで人生は変わります。

自分の価値観や先入観を壊して行動を起こせば、
現状なんていくらでも良い方向に進みますから。

だから、例え今直面した現実にうちのめされていても、
何もしないで諦めてほしくない。

そう思っています。

それがなんとなくでも伝わって、

「へぇそーなんだ、じゃあ、なんかやってみよっかな。」

くらいに思っていただくだけでも、
僕としては本当に嬉しいです。

このブログでは、
悩み苦しんだ末にようやく克服できた僕自身の経験から、
皆さんにもあがり症や社会不安障害を改善できることを知っていただけるよう、
ためになる情報や、克服できた人間としての意見、考え方を、どんどん発信していこうと思います。

なので是非、気軽に読んでいただければと思います。

またメルマガでは、
僕が社会不安障害を克服するまでの道のりと合わせ、

・あがり症や社会不安障害の克服に必要な考え方
・改善にするにあたってやってはいけないこと
・実際に僕が実践した改善方法

などなど、
克服に直結する情報を
惜しみなく出しています。

もちろんご返信いただければ、
全力でお返事させていただきます!

(最近はありがたい事に多くの方からご連絡を頂くので
長くて一週間以内にはご対応させていただけると思います。)

こちらも是非、どうか気楽にご登録いただければと思います。

同じ痛みがわかる分、共有できることもあるはずです。
思いきって一歩踏み出し、新しい人生をつかみましょう。

それでは。

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この記事を書いた人

はじめまして、よしです。

僕は小さな頃から極度のあがり症で、とにかく注目されるのが怖くて、日の当たらない生活を送ってきました。

社会人になり警察官になってからは症状が悪化してついには社会不安障害を発症し、苦痛な日々を過ごしました。

人目に出るのが怖い、
上司を話すとき頭が真っ白になる、
電話すらまともに出られない。

そんな警察官として致命的な症状が出た僕は、仕事でも失敗ばかりを繰り返し、最終的には警察官をやめざるをえませんでした。

そんな僕が、正しい向き合い方を知り、それを実践したことで、退職後3ヶ月のうちに社会不安障害を克服できました。

このブログでは、僕と同じ悩みを持っている方や、あがり症や社会不安障害を改善したいと願っている方の助けに少しでもなるように、
あがり症や社会不安障害を克服するための知識や情報を、自身の過去の経験を交えて発信していきます。

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