まなとのプロフィール

こんにちは、まなとです。

最初に、僕の自己紹介をしようと思います。

まず現在の僕の状況を簡単に説明すると、

社会不安障害になったため2017年に警察官を退職、そこから自分を変えたいと思い、社会不安障害の克服に専念。

その後克服に成功して、今ではブログ収益を生計の足しにつつ、自分の夢や目標を追いかけつつ国内外をあちこち行きかう生活をしています。

↓ざっくり僕の最近の経歴を年表にするとこんな感じです。

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2014年 警察官になる

2015年 社会不安障害と診断される

2017年 治療に専念するため警察官を退職
    →3ヶ月後、社会不安障害を克服
    →フィリピン、セブ島へ留学

2018年 フィリピンから帰国、東京に住む 

2019年 ニュージーランドへ渡る

2020年 ニュージーランドから帰国、大阪に住む

2022年 夢を叶えるため再度状況 

2023年 現在、当ブログを開設

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今でこそ僕は自分の好きなことに夢中になって日々夢に向かって突き進む充実した毎日を送っていますが、警察官を退職するまでの僕の人生はまさに地獄でした。

なぜなら僕は長い間、極度のあがり症、社会不安障害のせいで人の視線に恐怖を感じながら生きてきたからです。

例えば、

  • 人前に出るのが怖
  • 人の目がやたら気になってしまう
  • 人に説明する場面で声が思うように出ない
  • 電話に出るのが怖かったり、出ても声が小声になってしまう
  • 上司と話すとき頭が真っ白になってとんちんかんなこと言ってしまう

こういった症状に約20年間、ずっと悩まされ続けたんです。

このように、社会不安障害に苦しんだ経験があり、かつ克服できた経験もあるので、この経験を広く共有することで同じ悩みを持つ人の助けに少しでもなればと、この度思いきってブログを始めてみました。

このブログで僕が、読んでくれている人に伝わったらいいなぁと思うことは、

  • 今同じ症状、障害に苦しんでいる人
  • あがり症がひどくてなんとなく生き辛さを感じている人

そんな人でも、自分が抱える問題との向き合い方を少し変えれば、今と違った自分になれる可能性は大いにある、ということです。

僕は正しい改善方法を知った上に、そういった意識を変えたことで、実際良くなりましたからね。

それを少しでも伝えることができたなら、僕としては嬉しいかなと思います。

まあ、とりあえず前置きはこれくらいにして。

今回は、僕がどんな人間で、どんな人生を歩んだのか。


そして僕が社会不安障害を自覚したきっかけから克服に至るまでの経緯など、自己紹介として書いていこうと思います。

contents

僕の夢だった『警察官』

僕は子どもの頃からとにかく人目につくのがきらいで、大人しい性格でした。

いつもなるべく目立たないように行動して、誰かの陰でひっそりとしている、そんな子でしたね。

みんなの前で発言するなんてもっての他で、自分が発表した回数なんて小学校から高校までで5回もないかもしれません。

体育の授業なんかでも緊張しすぎて動けなくなるし、僕自身自分が、

「極度のあがり症」

なんだということは、物心ついた頃からよくわかっていました。

だからこそ、高校を卒業するまで、目立たないように、注目されないように、大人しくしてきたんです。

そんな僕も、中学生の頃には、親のススメもあって、警察官という夢を持ち始めます。

父親がある日、

「お前、警察官になれ。」

と言った時のことは、昨日のことのように思い出せます。

(警察官かぁ・・・、カッコいいなぁ・・・。)

当時の僕にとって、人の安全を守る警察官というのは、正義のヒーローのように思えたのかもしれません。

ある意味、当時の大人しかった僕とは正反対の存在。

そんな存在になりたいと、憧れるようになりました。

そして僕は、警察官になるために公務員試験の勉強に励み、高校卒業と同時に警察官になることができました。

あの時はめちゃくちゃ嬉しかったです。
夢が叶ったんですから。

((やった、警察官になるんだ!!))

そう何度も心の中で連呼して、飛び出るくらい僕の心は踊っていました。

警察官になってから、僕が経験することなんて想像できるはずもなく、新しい生活の幕開けに希望を抱いて。。。

夢だった警察官に

警察官として採用された人は、まず警察学校に入学します。

大卒で6ヶ月、高卒で10ヶ月。

この期間を経て、晴れて一人前の警察官になれるわけです。

期待に胸をふくらませて警察学校の門をくぐる僕。

一度門をくぐってしまえばもう一人の警察官として見られるので、初日から有無を言わさず教官の怒号が飛び交いました。

(話には聞いていたけど、すげぇ迫力だ・・・。)

そんなことを内心思いながらも、まだ心はわくわくしていました。

学生の頃から警察官を夢見ていた僕は不安よりも期待の方が全然大きかったんです。

だから全然いける!っていう、謎の自信に当時はみちあふれていました。

退職者続出の入学式

そして、警察学校に入って一週間後、入学式が行われました。

春先のニュースで見たことあるんじゃないかと思います。

「この春、晴れて〇〇人の新人警察官が~…」

ってやつですね。

あのニュースを見ると、すでにシャキっとしてる見える警察官が、ビシッと制服をきめて入学式に臨んでいるように見えますけど、あの裏ではみんなめちゃくちゃ怒鳴り散らされて入学式の練習に励んでいます。

練習中にステージのど真ん中につまみ出されてそのまま練習が進んだりとか、もう緊張感がすごいんですよ。

入学から入学式までの一週間、この時点でやめる人もけっこういましたね。

ただそんな環境でも夢の力はスゴいです。

恐怖心すらやわらげてくれるんですから。

周りのみんなは初めからけっこうストレス感じてましたけど、僕は比較的ストレスは感じていませんでした。

(話には聞いてたし、こんなもんだろ。)

まだ、そう思えたからです。

それくらい警察官という仕事には強い思い入れがありました。

充実した生活の中のある“違和感”

そんな感じで、警察学校生活も序盤はわりとゆうゆうと過ごしていたんですが、3ヶ月が経過した頃、自分の中にある違和感を感じだしました。

その違和感を感じる引き金があって、例えば、

  • 友達とは普通に話せるのに、教官とか年上の人と話すとき頭が真っ白になってしまう。
  • 部屋に設置されている電話が怖くて、出てもうまく話せない。
  • 人前で怒られると、怒られてること以上に周りからの目線が気になる。
  • 教場で発言を求められると、声がふるえる。

こういった症状が出ることで、僕は自分が他人とは何かが違うのではないか?と思い始めました。

(なんか、、、おかしい、、、明らかに人と違うよな、、、。)

(学生の頃から感じることはあったけど、、なんだこれ、、、。)

実際これらの症状は、警察学校に入学する以前から感じる時は確かにありました。

ただそれが、以前より明らさまに出て、ごまかしが効かなくなってしまったんですね。

これは学生の頃と違って人前に立つことや発言を求められることが増えたこと、さらに自分のやることに責任がついて回るようになったことが原因なんじゃないかと思います。

そんなことを思い始めた矢先、ある事件が起こりました。

大きなトラウマとなった悪夢の柔道事件

それはある日の柔道の授業でのこと。

僕は高校の頃は警察官になることを見越して柔道部に入っていたので、特別強かったわけではないですが少なくとも他の初心者より技は知っていました。

そして柔道の授業中、僕は組んでいた相手を背負い投げで投げました。

その際投げの形が少し崩れてしまったと自分でも思いましたが、相手にケガはありません。

しかしそこに先生が詰め寄ってきて、

「お前殺す気か!!」

と大勢の人の前で僕を怒鳴ったんです。

(え・・・?)

僕は頭が真っ白になりました。

ザワザワ・・・

周りの視線が一気に僕に集まります。

先生が僕を続けざまに叱ります。

(え、え、なんだこの状況・・・。)

顔は引きつり、すみませんを繰り返す僕の頭はパニックで、それでいて周りのザワついた状況だけはなぜかしっかり伝わってきます。

(早く、早く終わってくれよ・・・!)

口からはたどたどしい言葉しか出ないのに、頭の中ではしっかりとそんな言葉が繰り返されていました。

それ以降、先生にしっかり目をつけられてしまったため、僕のやることなすことに先生が怒号を飛ばすようになります。

ただ怒られること以上に、その空間で一番怒られて、注目されて、視線を集めている状況が怖くて仕方がなくなりました。

あの日以降毎回の様に怒られ、周りの柔道経験者からは馬鹿にされ、

「黒帯なのに下手なやつ」

そんなレッテルを貼られた僕は、悪い意味での注目を集めてしまうようになり、そのうち不安や視線への恐怖から例え相手が初心者でも、

(負けたらどうしよう。。。また変な目で見られる。。。)

そんな過剰な緊張が出てきていたため勝てなくなりました。

そして勝ち数のノルマを達成できなかったペナルティとして、黒帯の僕が一人白帯の人達の中で腕立てをするのはとても恥ずかしく、赤面と変な汗が出るのが止まりませんでした。

ノルマを達成して先に抜けていた他の人達からの視線は、突き刺さってくるように感じられました。

あの日々のことは正直今でも思い出したくありませんね…。

電話もできないお巡りさん

ある日を境に過剰な不安とストレスを感じるようになってしまった僕の最低な警察学校ライフ。

そうやって日々たまっていく不安やストレスが影響してか、いや元からだったのか、僕は電話を取れなくなりました。

警察学校にも普通の学校と同じく委員会・係活動のようなものがありましたが、当時僕が与えられたのは学校にかかってくる電話を取る電話番。

自信もすっかりなくしてしまい、元々かなり電話に苦手意識のあった僕は、もううまく対応できるはずがありません。

声がうまく発せず、何度もどもり、電話の操作を間違え、まともに話すことすらできないしまつ。

教官には、

「お前警察官やめろ、向いてないから。」

と何度も言われ追い詰められ、僕のメンタルは日に日にズタボロになっていきました。

柔道事件と、電話番での大失態。

この二つが警察学校在校中に僕の自信や前向きだった気持ちを全てうばい、そんな状態のまま、僕は現場に出ることになりました。

僕は、社会不安障害だった。

現場に出て、半年が経ちました。

警察学校で既にメンタルがズタボロになっていた僕は、卒業後の半年間、事件や事故現場で味わう極度の緊張状態の中、失敗を繰り返し、毎日のように怒鳴られながらも、なんとか勤務地へ通い仕事を続けていました。

結果として僕が辞めるのはそれから2年もあとのことになりますが、今思えばそれだけ続けられたのはけっこう奇跡的なことだと思います。

ただ、現場を半年経験した頃には、一向に好転しない症状にとうとう僕は我慢できなくなってきて、自分の中に感じ続けていた違和感の正体を明らかにしてやろうと思い、意を決して精神科に行きました。

僕は先生にこう伝えます。

「人の目がとにかく気になってしまうんです・・・。

 職場では上司ともまともに話せません・・・。

 電話が怖くて出れもしませんし、出ても声がうまく出せないんです・・・。

 ただあがり症なだけでここまでなりますか・・・?」

すると先生がこう答えます。

「それは社会不安障害という病気です。」

僕は思いました。

(やっぱりか。)

って。

それが素直な感想でした。

何もないことはないだろうとそりゃ思ってましたから。

僕は薬をもらって帰り、とりあえず薬を服用しながら職場に通い続けました。

正直その頃には、警察官を退職するという選択肢がちらほら頭の中によぎるようになっていました。

ただ、ずっと夢だった警察官。

こんなところで、こんなことであきらめたくない。

そんな気持ちも同時に強くなり、僕は社会不安障害を克服すると決めました。

社会不安障害を治すため必死になる日々

あの日を境に社会不安障害との決別を決め、とにかく必死になりました。

治せるんだったらなんでもやってみる。

とにかく場数を踏んで慣れるしかない。

自分に自信をつけていかないと。

そう思い、今まで自分がやったことないこと、いろいろやりました。

速読、ダイビング、合コンや街コンへの参加、休みの日は積極的に外へ出て買い物。

毎日社会不安障害を治すことを考え、毎秒そのために動いていました。

しかし、その結果どうなったかと言えば、何にもならなかったんです。

しかも、今あげたことってお金がかかることばっかり。

遊ぶこともしなかったので他の同期よりも貯金があったのですが、いつの間にかそれを消費していっていました。

それによって僕は、さらに不安にかられるようになりました。

貯金があることによって得られる安心感もなくなっていったからですね。

そして、自責の念もひどかったです。

全てが裏目に出て、結果に結びつかない。

失うものばかりで、得られるモノなんて何一つない。

なんなんだ俺は、いったい何なんだお前は。

僕は自分で自分を責め続け、自分の考えること、思うことを全て信じなくなりました。

思考停止、仕事して帰って寝るだけの廃人です。

夢だった警察官のヒーロー像とは、あまりにかけ離れた姿がそこにはありました。

思考しなくなった僕は、人の言うとおりに動くようになり、先輩に勧められた通りにいりもしないカッコいい時計を買ったり、
必要不可欠とは言えない道具やモノを友人知人に言われた通りに買うなど、余計な浪費をさらに重ねました。

そして仕舞いには、警察官なのに人にだまされ、親が貯めてくれていたお金にまで手をつけ、気づいた頃には何も残っていませんでした。

そして、

「警察官、やめよう。」

そう思ったのは、ある意味自然なことだったのかもしれません。

警察官失格のらく印は、他人に押されるまでもなく、自分で押すことにしました。

そして、夢の力と憧れに支えられた僕の警察官人生は幕を閉じました。

警察官を辞め、その先に見えたこと

退職届を出し、地元へと帰ることに。

警察の世界しか知らない僕が、フリーターになりました。

言っても公務員という地位を自分で投げ捨てたんですから、それはそれで不安にかられます。

まぁ安定と言えばの公務員しか知らない人間だったんで、公務員じゃなくなった瞬間そうなって当然ですよね。

(やべぇ、、、どうなっちまうんだ俺。。。)

正直そう思ってました。

今でこそ、どうにでもなるさ!


と答えてやりたいところなんですけど、当時の僕と言ったら、

非公務員=サバイバルの世界

くらいに本気で思ってましたからね。

(元々民間企業に勤めてた警察の先輩から民間企業の過剰なイメージをうえつけられていたせいでもある。)

そんな必要以上の不安にかられながらも、警察官をやめる段階で、これを機に社会不安障害としっかり向き合おうと決めていた僕は、一度冷静になって再び効果的な方法を探し始めました。

アルバイトをしつつ、何もない時は図書館で勉強したりしながら、社会不安障害治すのに何か効果的な方法はないもんかと。

で、わかってきたことが、

ひたすら場数を踏んでも症状はよくならないということと、
そもそも心の問題だから、心理学的アプローチはどのみち必要不可欠ということ

(フムフム、なるほど。)

(ホントその通りだな、場数踏みまくって症状悪化したしな、、、。)

そう思いながら、じゃあ何かいい感じの療法ってあんのか?
と思っていた時に、見つけたのがヒプノセラピーというものでした。

もう全然聞きなれなさすぎて、なんじゃそれって感じでしたけどね。

で、実際調べてみると、
たしかにそんな療法があって、療法士もちゃんといる。

ただ、場所がかなり限られてるし、
安くても一回2万はする。。。
つまり治るまでにめっちゃ金かかる。。。

そういうとこまでわかってきて、

おいおい、それじゃ手が出せないぞ、と思ったんです。
(※この時には正常な感覚に戻ってます。)

やっと効果的な方法を見つけたかと思えば、
通院の時間や費用も合わせれば費用対効果悪すぎるし、どうしたものか。

そんな時見つけたのが、
別に通院するでもなくヒプノセラピーを実践できるプログラムだったんです。

そこまで費用もかからないし、
ずっと使えるものだからコスパも悪くないかと思い、
それを買って実践することにしました。

結果から言うと、この判断がうまくいって、
僕はその3ヶ月後には社会不安障害が気にならなくなっていました。

日々、ヒプノセラピーや、考え方を変える方法を意識して実践し続けたおかげです。

その過程で僕は、思考がどんどん変わり、以前よりも圧倒的に不安やストレスを感じなくなりました。

それと同時に自分の周りでも変化があって。

まず、当時アルバイトをしていた僕は、
警察官として厳しい世界にずっといたこともありただのバイトにしては動けすぎたので、
バイト先で信頼を得て「認められる」という経験をすることになります。

短期間のバイトだったんですが、

「お前がいないと回らない。うちでそのまま働かんか?」

とまで言われるようになったんですね。

僕自身、この頃から自分自身を否定するのをやめ、
一旦ありのままの自分を認めてみることにしていたので、
その結果心がかなり軽くなり、人が変わったようでした。

それが周囲から見た僕のイメージも変えることになり、
人からの見られ方が警察官を辞める以前と比べると全然違うのが実感できました。

(誰かから認められるって、こんな気持ちいいことなのか・・・。)

人から否定され、自分でも否定し始め、
誰一人からも認められることがなかった僕は、
しみじみそう感じました。

僕は、警察官を辞めてからの日々で、
認められる人間になり、自信をつけていき、
一度しっかり向き合おうと決めていた社会不安障害のことはいつの間にか気にならなくなっていました。

そして警察官を辞めて半年後、
新しいことに挑戦しようと思いかねてから決めていた、
セブ島留学に行くことにしました。

初海外、まさかの『天敵』との再会!?

僕にとって初の海外です。

フィリピン、セブ島。

言わずと知れたリゾート地で、
近年では安価な留学先としても人気です。

僕がセブ島留学を選んだ理由はやはり「安い」から。

さらに費用を抑えるため、
数ある語学学校の中でも特に安い学校を選びました。

4時間勉強できるけど、
4時間働くことで安く留学できるっていう仕組みの学校です。

ただ、その仕事というのが、
まさかのコールセンターだったんです!

日本からかかってきた電話を取るので日本語対応なんですけど、
問題はそこじゃなくて。

僕、さっきちょっと書いたように、
電話対応できなさすぎて、
警察官時代めちゃくちゃ怒られてるんですよね。

なので根深いトラウマがありました。

電話というものが怖い、
まさに僕の『天敵』です。

実際仕事が始まると、
トラウマがよみがえります。

電話が鳴る、それを取る、話す。

みんながフツーにやっていること、
だけど、僕はできるのだろうか。

そんな不安がまたよぎりました。

しかし、もうそうは言っていられません。

僕は心を決めて、受話器を取りました。

「〇〇申し込み窓口、××がお受けいたします。」

声が発せました。

そしてマニュアル通りに話を進めます。

案内が終わりました。

「はやとくん、初受注おめでとう!」

リーダーの社員さんがそう言ってくれました。

なんと僕は、苦手だった電話対応で、
お客さんの申し込みを受けることができたのです。

これは僕にとって大きな成功体験でした。

なぜなら以前の僕だったら、
電話で仕事をするどころか、
うまく対応もできず、
声すらまともに出せなかったんですから。

この成功体験により、僕はより積極的になれました。

どんどん電話を取ってさばいていくようになり、
気づけば部署で1、2位の成績を出せるようになっていたんです!

しかも留学期間中、成績上位を毎月キープできたんですね。

毎月表彰され、賞状がたまっていくたびに、
僕は変わっていく自分が実感できました。

苦手を克服し、それを得意にまでできた自分。

人の期待に応え、誰かから認められる自分。

以前ではまったく考えられなかった自分の姿が、そこにはありました。

とにかく、清々しかった。

そう言えます。

自分の知らなかった姿を見つけた僕は、

なんだか今の自分なら、
もっといろんなことに挑戦できるんじゃないかって、
思えるようになっていました。

それで、
もう先のこととか余計に気にしなくなっていて、

自分が今やりたいことをやる!

っていう、
そんな考え方をするようになっていました。

そして、僕はより行動的になっていきます。

大きな自信を得て帰国! それからの僕

帰国後、何も決まっていなかった僕は、
もう一度海外に行くことを決めます。

もう以前のように不安はないし、怖くはありません。

自分がやりたいようにやるまでです。

人の目なんて気になりません。

とりあえずまたの渡航までに、
お金をある程度貯めようと思い、
東京に出てコールセンターの仕事を始めました。

東京に出たのは、まだ住んだことがなかったし、
どうせ海外にでるならどこ住んでも一緒、
なら首都がどんなとこか位知っておくかと思ったからです(笑)

そして埼玉を経由して東京に住むことになり、
人が苦手だった僕がすっかり人と話せるようになっていて、
シェアハウスに住んで、同居人のみんなと楽しく過ごしました。

子どもの頃、人見知りで人の陰に隠れてきた僕からは想像もできない変化です。

良い思い出になりました。

上京後、東京に本社を置くセブ島で勤めていた会社から、
声がかかりまたコールセンターで働くことになりました。

今度は学費の代わりなどではなく、
しっかりお金がもらえる仕事として。

セブ島でしっかり結果を出していた僕は、
他の人よりも高い給料で雇ってもらえました。

もちろん、東京でも同じように結果は出しました!

その後できた貯金でニュージーランドに渡ることにし、
それからはわりかし楽しい生活を送っています。

渡航後二日目には台湾人の友達ができて、
そいつが住んでたシェアハウスに住むことに。

渡航後ちょうど二週間後には人生初のマイカーを買いました。

まさか海外で自分初のマイカーを買うとは思いませんでしたけどねw

そして海外ならではの、
例えばリンゴ、モモ、ナシといった
フルーツを狩るピッキングという仕事だったり

パッキンングというリンゴの箱詰めの仕事だったり、
そういったファームジョブを経験することができました。

ピッキングは暑かったし
あんまり好きじゃなかったですけど、

パッキングは屋内でしかも
けっこう周りの人と話せながらできたので
楽しかったですね。

あとは買った車で友達と観光地に行ったり、
ラジオガンガンにかけてドライブしたり、

めっちゃすがすがしかったです。

いろんな国から人が集まってるので、
イギリス、ドイツ、カナダ、チリ、韓国、台湾、現地の人と
仲良くなって、それはもう濃密な異文化交流を体験できました。

そして今も、いろんな国から来た人たちに囲まれながら、
こうしてリビングでプロフィールを書いています。

まぁ、控えめに言って充実してますねー

それで社会不安障害に悩んでたことなんて
たまに本当に忘れてたりするんですよね。

控え目に言って、
けっこー人生変わったので。

長くなりましたが、こんな感じです。

とにかく僕は今、楽しくやってます!

さいごに

今回このブログに自分の過去を
さらけ出すことに抵抗はありましたが、

同じ悩みを持つ人や
現状がうまく行っていない人に
何か影響を与える事ができたら。

そう思って書きました。

先に書いたように僕は、
あがり症や社会不安障害に悩み続けましたが、

効果的な改善方法を実践し、
考え方を変えられたことで、
今では自分なりに満足のいく生活ができているんです。

本当に人生ってどうなるかわからないし、
どう変わるかなんてわかんないんですよね。

だから、とりあえずはやってみること。

それで人生は変わります。

自分の価値観や先入観を壊して行動を起こせば、
現状なんていくらでも良い方向に進みますから。

だから、例え今直面した現実にうちのめされていても、
何もしないで諦めてほしくない。

そう思っています。

それがなんとなくでも伝わって、

「へぇそーなんだ、じゃあ、なんかやってみよっかな。」

くらいに思っていただくだけでも、
僕としては本当に嬉しいです。

このブログでは、
悩み苦しんだ末にようやく克服できた僕自身の経験から、
皆さんにもあがり症や社会不安障害を改善できることを知っていただけるよう、
ためになる情報や、克服できた人間としての意見、考え方を、どんどん発信していこうと思います。

なので是非、気軽に読んでいただければと思います。

またメルマガでは、
僕が社会不安障害を克服するまでの道のりと合わせ、

・あがり症や社会不安障害の克服に必要な考え方
・改善にするにあたってやってはいけないこと
・実際に僕が実践した改善方法

などなど、
克服に直結する情報を
惜しみなく出しています。

もちろんご返信いただければ、
全力でお返事させていただきます!

(最近はありがたい事に多くの方からご連絡を頂くので
長くて一週間以内にはご対応させていただけると思います。)

こちらも是非、どうか気楽にご登録いただければと思います。

同じ痛みがわかる分、共有できることもあるはずです。
思いきって一歩踏み出し、新しい人生をつかみましょう。

それでは。

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